久々に萩に行ってきました。
松下村塾の近くに移設された、郡司家(ぐんじけ)敷地内で発掘された大砲鋳造所跡 本来、南に50mの位置に有った物が移設されたものです。 長州藩は幕末期に、郡司鋳造所で大砲を作ったと言う事実は記録や伝承など知られていますが、実際はどの様にして作られたのかは不明だそうで?? 平成12年に県埋蔵文化センターが行った発掘調査では巨大な石組みの大砲鋳造遺構が確認され実際に使われた鋳型も多数発掘され、これらの3つの「こしき炉」を用いた大掛かりな鋳造を行っていたと考えられるそうです。 郡司家が鋳造した大砲の行方は?? 現在殆んどが行方不明で、その原因としては、馬関戦争(下関)文久3年に対しての、 翌年の元治元年に英、仏、蘭、米の四国連合艦隊の長州藩報復攻撃により沿岸砲台の壊滅と、大砲を戦利品として持ち帰ったとも言われています。 欧米には郡司家の大砲がわずか残っているとの情報もありますが?定かではありません
by syoukajyuku
| 2006-12-09 12:52
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